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中米とカリブとアメリカと(中)

~キューバ

 今回は、キューバ。現在のキューバの街の様子を体験(2008年9月)したままお伝えしたい。

■キューバの発展と貧しさと
 「社会主義」経済が成功している国ともいわれるキューバであるが、人々の生活は、それなりに貧しい。ビルはみな古く、まだ走れるのかと思うくらいの車が街を行き来し、一昔前にタイムスリップしたようである。私が宿泊したカサ・デ・パティキュラ(個人住宅の一室に泊めてもらう民宿。)でも、水が出なくなったり、台風グスタフで停電した後24時間が過ぎても復旧しなかったりした。
 しかし、キューバ革命(1959年)前の貧しさ、例えば識字率も低く(非識字率23.6%)、新生児死亡率(農村地域では6~7%の死亡率であったとのこと)も今より高かった状態を考えれば、革命が成功と評価されていることは実感できる(1988年までには非識字率は1.5%に減少、新生児死亡率も1995年時点までに1%弱まで減少。他のラ米諸国では新生児死亡率は1995年時点で4%前後。以上数字は「キューバ・ガイド」海風書房 カルメン・アルフォンソ著)。キューバの発展は、私の体感としても、今回旅した他の中米諸国とは比べものにならない(コスタリカを除く)。
 もっとも、旧ソ連崩壊後、キューバ経済は落ち込んで、今も元のレベルまでは回復していない。そこでキューバ政府は社会主義経済を維持しながらも、外貨所持を認めたり、自由市場を創設する等、部分的に市場原理に基づく経済改革を導入したりして対応を図っている。

■アメリカとキューバ
 人々の暮らしを厳しくしている大きな理由の一つは、目と鼻の先の超大国、アメリカからの経済制裁である。国連総会でも米国の対キューバ禁輸制裁解除を求める決議が16年連続で採択されてきた((参考)2007年は、国連加盟国192か国中、賛成184、反対4(米国、イスラエル、パラオ、マーシャル諸島))、棄権1)にもかかわらず、経済制裁は46年間も続けられている。アメリカはキューバ市民を苦しめ続けてきた、と嘆くタクシードライバー(59才)に、「次の大統領選挙(2008年11月の選挙のこと)で変わるかも」と励ましたところ、「毎回毎回アメリカの選挙の度に、次の大統領を待ち続けて、もう50年になる・・・」と彼はさらに嘆きを深くした。中米の他の国の例に漏れず、アメリカがキューバに対して行っている干渉は、軍事的干渉からCIAによるカストロの暗殺計画まで、極端に過激であり続けてきた。
 貧しい生活を逃れようと、多くの人がアメリカに亡命し、有力なスポーツ選手などの亡命も続く。それに対し、「国から住居も食べ物も与えられ、医療も教育も無償で受けてきたのに、どうして、成長してから恩返しをすることもなく逃げ出すのか。恩知らず」と、怒るキューバ人にも出会った。

■ラテンアメリカ(ラ米)諸国とキューバ
 アメリカと断絶状態にあるキューバは、ラ米とのつながりに尽力している。
 例えば、チャベス大統領のベネズエラとの関係は強化され、最大貿易相手国は現在ベネズエラである。ベネズエラから原油を多く輸入し、またベネズエラへ医療支援などを行っている。私も、飛行場で、これからベネズエラに5年間派遣されるという歯医者に会った。派遣は国費だが、5年の間にキューバに戻りたいのであれば私費となり、その費用がないため、その歯医者の男性は家族とこれから5年間会えないと言いながら、見送りの幼い子どもたちと最後の時を楽しんでいた。その妻に「大変ですね」と声をかけると、「キューバはラ米諸国と協力していかなければならないから仕方がない。アメリカの政策は許せない。」などと話してくれた。
ラ米との連携はベネズエラに限られない。例えば、「世界最高レベル」を誇る医学を提供すべく、キューバ政府が奨学金を出し、ほぼ全てのラ米諸国から留学生を招きキューバで学ばせている。話を聞いたウルグアイ人医学生によると、約400人のウルグアイ人医学生がキューバの首都ハバナの大学で学んでいるとのこと。他にも多くの国から学生が医師をめざして学びに来ており、「コスタリカ人は150人程はいるし、他にも人数は分からないけれど、ほとんどのラ米の国からキューバにたくさん来ている」と話してくれた。他国の医学生は、基礎教育レベルもキューバ人学生に劣っていることが少なくないため、キューバに来た後、まずは基礎教育から受け直すこともあるとのことであった。
 自らの得意とする分野で、共通言語のスペイン語を生かし、他国に最大限貢献するキューバの外交政策である。ラ米で中道左派や左派政権が次々樹立されていることや、地理的・文化的つながりからも、ラ米諸国の連携は(アメリカ依存の状態が当面続くとしても)、キューバのみならず多くの国でこれからさらに重視されていくことであろう。

■人々の生活
 観光を重要な外貨獲得手段としている国家政府だけでなく、キューバ人個々人も外国人相手の民宿やタクシーなどで外貨を稼いで生活を維持している。社会主義経済の元、極めて安く必需品が手に入るという側面はありながら、キューバ人の多くが生活が苦しいと口々に訴える。「例えば、生活必需品として丸パン一つ(直径10センチ)を約5円(5セント)で買うことができる。ただし、その値段での購入は一日一人1つに限られており、それだけでは生活できない。」と民宿の主人。
 賃金が安いため、外貨の入手手段を持っていない市民は生活が難しい。共働きで副業を持たざるを得ず、例えば学校の先生が土日に塾の先生をやったりベビーシッターをやったりしているとのことであった。
 サンチアゴ・デ・キューバというキューバ第二の都市のバスターミナルで必死に民宿の客引きをしていた男性。宿に行って彼と話し込んでみると、彼の本職は弁護士、大学でも教鞭をとり民法や労働法を教えているとのことであった。観光客に邪険にされながら、砂ぼこりの中必死で客引きを続けるその姿を思うと切なくもなる。
 とはいえ、繰り返しになるが、他の中米諸国からは比べられない発展が今のキューバの前提として存在する。貧困層のスラム街などはないし、公園が物乞いの人だらけということもない。貧富の差が少ないことから、街は安全であり、グアテマラシティでもサンサルバドルでもマナグアでも(グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアの首都)聞いた現地の人からのアドバイス「一刻も早くこの街から出て行きなさい。危険すぎる。」といった言葉をキューバ(と貧富の差の少ないコスタリカ)で聞くことはなかった。

■フィデル・カストロ
 今キューバ国民はキューバ嫌いでアメリカ好きになりつつあるとも訪問前には耳にした。しかし、私が接した多くはキューバ好きであった(表向き、という話もあろうが、嫌いだという人は率直に「嫌い」と言っていたので嘘でもなかろう)。私は、旅行中「カストロは好きか」と多くの人に聞き続けたが、YESは半分強くらい、「まあ好き」を入れれば3分の2くらいであった。革命の立役者の一人チェ・ゲバラについてはごく一部を除きほぼ皆YES、キューバの建国の父とされるホセ・マルティについては間違いなく全員がYESであった。
 私は、キューバはカストロの国・カストロの独裁政権、とする日本のマスメディアにしか接したことがなかったが、少し学ぶとそうではないことがよく分かる。この国の建国の父はマルティであり、彼の存在はカストロと同じかそれ以上に国民の心に根付いている。また1959年のキューバ革命は、アメリカの傀儡政権やアメリカ企業による圧政・搾取から逃れるべく市民が支持をし続けた結果であった。悲願であった100年にわたる戦いの最後の場面が革命という形でカストロやゲバラらの手により成し遂げられたというだけであり、カストロやゲバラだけが単独で強引に革命を行ったというわけでもない。
 知識のない私なんぞ、フィデル・カストロが政権トップの座を実弟のラウルに譲ったと聞いて、この国も所詮血縁政治なのか(北朝鮮のように)と思っていた。が、今回の旅行で、ラウル以外には、現存する者でカストロやゲバラと共に革命を実行し、その後の政治体制の中心で動いてきた者はいないということも学んだ。

■様々な角度からの情報を
 国際社会の変化にしたがい、変化し続けるキューバがこれからどうなっていくのか、大変興味深い。冷戦終了を小学生で迎えた私にとって、キューバに深く興味を持つ機会はこれまであまりなかったし、日本のメディアから与えられる情報は一面的なものばかりであった。そのため、この原稿があまりに無知なものとなっていたらお許しいただきたい。これを機に、様々な視点に基づく情報を積極的に取り入れながら、この国キューバを知り続けていきたいと思う。(2008年 「まなぶ」 11月号掲載)

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*壁にゲバラが描かれている(夜は電飾でゲバラが光る)内務省のビル


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*自由市場での買い物。並んでいる商品が少ない。

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*古い車が行く首都ハバナの街。街ではところどころゲバラらの肖像が書かれている。

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*泊まったお宅での台所。この家は比較的豊かな家であったと思う。

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