各国からの留学生に囲まれて
各国からの留学生に囲まれて
■世界42カ国からの学生
5月末には、ロースクール卒業である。時がたつのは早い。私の通うプログラムは、各国で法律家としての経験をもつ者が、アメリカ人学生に混じりながら好きな分野を集中して学ぶというもので、1年で終了。1年の間、アメリカ人の友達もたくさんできたが、日常を共にすることが多いのは世界42カ国から集まる法律家たちであった。
留学生217人の構成は、日本人が33人で最大、続いて25人程の中国人、66人がヨーロッパ(ロシア・東欧からも少なくない)からで、25人がラテンアメリカ、残りがカナダ・オセアニア含むその他の国からである(ちなみにアメリカ人学生は約1200人いる)。年間学費だけで500万円近くかかるため、発展途上国の学生はとても少ない。アフリカからは3人(うち一人は南ア)、中東はパレスチナ人1人、イスラエル人11人(!)を除いて誰もおらず、アジアも、タイ2人とインド13人以外、発展途上国出身者はいない(ロースクールではなく、お隣の国際関係学部ではもう少しバラエティ豊かになるが。)。
ロースクールへの留学生の多くは国際企業弁護士である。また、私のように国際人権に絞って学びたいという者も10人程いるだろうか。さらに、裁判官、検察官、政府官僚、政治家志望者などがいる(もっとも、欧米人には、国際企業法務も人権も両方やりたいという人がとても多い。アジア人には残念ながらあまり多くはないのだが。)。
こんな国際的な環境の中にいては、日々、興味深いことばかりおきる。
■メイド 大の仲良しに、ベルギー人のアンがいる。国際人権に興味があり価値観を一番共有できる友人である。ある日、アンが、「聞いてよ!」と、興奮してやってきた。ルームメートともめているというのである。
彼女は大学の寮に住んでおり、日本風に言えば3DKマンションに学生3人で住み、一部屋ずつを一人一人の部屋にしている(NYは家賃がべらぼうに高いので、学生の多くはアパートをシェアしている。)。アンのルームメートの一人は、南アフリカからのカレン。そのカレンがアンに、家でメイドを雇おう、と言いだしたのである。アンは、
「人を使うなんて考えられない。アパートの部屋なんて狭くて、掃除するったって20分もかからないのに!私たち学生だし!」
「カレンはお皿洗ったり洗濯をしたことがないんだって!」
「カレンは、“メイドも仕事が欲しいんだから、雇われて幸せなのよ”っていうのよ。でも、そういう問題じゃないと思わない?」
「でも、カレンって南アフリカの白人でしょ。だから、カレンに怒っても仕方がないんだろうけど・・・。」
・・・その後二人は、それぞれの両親に相談することにした。その結果をアンに聞くと、
「もちろん私のお母さんは、『自分の身の回りのことは自分でしなさい』って言ったわ。『メイドなんてふざけるんじゃない』って。でも、カレンのお母さんは、『洗濯や掃除なんてあなたがすることないわ。メイドを雇いなさい』って言ったの」・・・・・。
結局、メイドはやめになり、共用のキッチンやバス・トイレは、アンが折れて掃除をすることになり、自分の部屋くらいはカレンが自分でやることになったようである。
■上流階級
発展途上国出身の留学生の多くは各国の上流階級の出身である。自国の家にはベッドルームが10(!)あるとか、どこへ行くにも送り迎えの車があったなどと話す。冬休みに帰国をしていたインド人の友人が、学期が始まり戻ってきて、「冬休みの間に、ハンドバックを6個、ブーツを4足買っちゃったわ」と言っていた。「卒業したらどうするの?」「私の彼氏もこっち(アメリカ)の会社でビジネスマンしてるし、私もこっちのローファーム(弁護士事務所)に勤めるわ。」こちらのビジネスローファームでは、あっという間に年収2000万円である。
ここで発展途上国出身の学生と話していると、その国が貧しい国であるということを忘れてしまう。そんな折、インド旅行に出ている日本の知人から、「この国では道路の脇で、人が飢えて死んでいきます」というメールをもらった。
■自分の国って何だろう
学生サークルの主催で、各国の映画を見てその国の問題について議論をしよう、というイベントがあった。私も何回か参加した。ブラジルの回では、リオ・デジャネイロの徹底的に貧しいスラムで、ドラッグを売って生活をする人々の中で抗争が起き、子どもまでもが銃を持って皆殺し合い、警察も賄賂で動くため取締りも行われない・・・という、悲しい現実を描いた映画を見た。が・・・一番ショックだったのは、その後のブラジル人学生からの説明であった。「映画は20年ほど前のもので、今はもっとひどい状況になっている。」「今はスラム間での殺し合いが頻繁である」「ドラッグの売人の平均年齢は20才以下だ」・・・それは大変だ・・・と聞いているうちに、彼らはドンドンと不満をぶちまける。「スラムはみるみる拡大している。以前は、私たちのエリアだった地域を浸食し続けているからたまらない」「私の学校は校舎を閉鎖して移さなければならなかった」「あいつらは、出産コントロール(birth control)を知らないから、次々子どもを産む」「やることがないから、犯罪しかしない。」「18才以下は刑務所でなく特別な学校(少年院?)に最大でも2年間しか行かないから、すぐ出てきてまた悪いことを繰り返す」
ひたすら、そこにいたブラジル人5人で、貧しい人たちへの不満を30分間延々と言い続けた。当然、全員、白人。私たちが「ブラジル人」という響きから想像する、日本に出稼ぎで来ている「ブラジル人労働者」のような肌の色の人は一切いない。
いたたまれなくなって、「彼らも好きで貧しいわけではないだろうに。」「政府の対応は?」と聞くと、「政府も賄賂でしか動いていない。手のつけようがない。」「改善する方法などない。」・・・。
「自分の国を良くする方法が全くなくて、あきらめるしかないなんて、しかも、急速な発展を続けている地域大国ブラジルで、そんなことを言ってて悲しいじゃない?」と言うと「それが現実だ」と。
ちなみにブラジルの成長はめざましい。アメリカ企業はブラジルとの取引を強く欲しており、欧州人や日本人はもちろん中国人まで就職難に苦しめられている景気の悪いアメリカにおいて、ブラジル人弁護士だけが引く手あまたである。そんなブラジルなのに・・・。
■貧困
南アからのカレンも、インドの学生の大半も、国に戻っても未来はない、アメリカに残る、と言う。
奨学金で留学しているインドの少数民族出身の人権弁護士の友人に、「みんな自分の国の問題から全く目を背けていて、国に戻る気がない。悲しすぎる」と訴えると、「でもね、そういう人は国に戻ったところで金儲けしかしないんだから、アメリカにいてもインドに戻っても同じなんだよ」との答えであった。
もちろん、中には、人権のために文字通り命をかけて戦っているジンバブエ人弁護士や、インドを良くしたいと政治家志望のインド人もいる。
他の国の人がいくら手をさしのべようと、その国の人の努力がなければ、国が良くなるはずはない。世界全体が良くなれば国境には全くこだわらない私であるが、それでも「あんたたち、もっと自分の国のために努力しようよ。苦しんでる人だけ残して逃げないでよ」と叫びたくなってしまう。
しかし、全ては貧困・貧困・貧困である。貧困、そして格差が、各国の、才能も地位もある人々を絶望させ、これほどまでに自分の国への興味を失わせている。そして実際に、貧困は諸悪の根源である。貧困から犯罪も人権侵害も戦争も生まれる。ここでの体験で、貧困問題をなんとかしなければ世界の発展も人権の改善もない、と痛烈に感じた。
日本が発展したのも、安全であるのも、他国に比べ貧富の差が小さかったからであることは間違いない。日本社会への教訓でもある。
■日本人の人権弁護士である私
この原稿を書いている時、日本から「イラク自衛隊派遣は憲法9条に反し違憲」との歴史的判決のニュースが飛び込んできた。うれしくて、興奮して、いてもたってもいられない。ここにいては何もできないのだが、アメリカ人や日本人留学生の何人かに喜びを伝えた。弁護団の事務局長は、司法研修所同期で机を1年間並べた川口創弁護士。さっそくお祝いのメールを送った。
こんなとき、人権問題や社会問題に真っ正面から取り組める人生を送っている私はとても幸せであると改めて感じる。現在の日本では、そんな取り組みはなかなか広まらなかったり、裁判所にも認められなかったりで、こんなことやってられるか!と思うこともしばしばである。しかし、自分が担当した事件でもないのに、こんなにうれしいのは、どういうことか。たまらなくうれしい。おこがましいかもしれないが、社会問題に取り組む人生は、悲しみも多いけれど、喜びも幸せも人一倍多い。豊かな人生である。
どこの国にも問題は山積みである。まだもう少しこちらで過ごす予定ではあるが、このニュースを聞き、早く日本に戻って日本の問題に取り組みたい!という気持ちに駆られた。
(2008年 「まなぶ」 4月号掲載)
「休み時間の教室の様子・・・ざわざわ、わいわい、はどこでも一緒。」
「世界中から学生が集まるNY。(NYにも遅い春が来て、みんな陽だまり
を楽しんでいる)」
「私の通うコロンビア・ロースクールの建物」
「大教室の授業。100人くらいの授業から10人程度の授業までさまざま
。概して人権関係の授業は人数が少ない。」
「たくさんの国からの留学生。文中のほか、なかなか日本では会えな
い国籍としては、アルバニア、セルビア、リトアニア、ボリビア、パラグアイ、ハンガリー、ブルガ
リア
・・・・」
「アジアの学生と。東アジアの学生は英語が苦手。出身国同士で固ま
りがちになり、圧倒的マジョリティなのに存在感がないという残念な状況である。」