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国連での国際会議!

国連での国際会議!

 NYには国連本部がある。そのため国連の会議にすぐ参加でき、おかげで「Wow!」という場面にしばしば出会う。
 この半年間の私の国連での「Wow!」は、国際刑事裁判所を巡って2度、起きた。一つ目は、国際刑事裁判所への日本政府の寄託式。二つ目は、国際刑事裁判所の締約国会議(潘基文国連事務総長も拝んだ)である。(もっとも、何に一番感激したかというと、国際社会における、圧倒的なNGOの存在感である。頁数の関係でNGOについては次号以降)

■国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)
 国際刑事裁判所とは、重大な人権侵害の責任者を裁く国際法廷である。東京裁判やニュールンベルク裁判の名前は耳にしたことがあると思うが、大戦後、人類は、「二度と過ちを犯さぬよう、重大な人権侵害の責任者には法の裁きを受けさせなければならない。」と悟った。しかし、ある国において、激しい殺戮行為が起きても、その一番の責任者はその国のトップであることも多く、往々にして国内での裁判にかけられることは少ない。国の中でやりたい放題であるのが常である(昨今のビルマがいい例)。しかし、責任逃れを許さず、続く人権侵害を止めねば!・・・ということで、ながーい検討の末・・・1998年、長年の人類の夢かなって、ついにICC規程が採択され、国際刑事裁判所が動き出した。裁判所はオランダのハーグにあり、裁かれる犯罪は、戦争犯罪、ジェノサイド、人道に対する罪、侵略の罪。


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*議場の様子。前に、国際刑事裁判所の裁判官選挙用の投票箱が並んでいる。

■日本の批准
 日本政府は、この輝かしい国際刑事裁判所のローマ規程になかなか批准しなかった。1998年にICC設立が決まったのに、60カ国が批准をして裁判所が実際に動き出しても、批准国が100カ国に達しても批准しなかった。米国が自国の兵士が訴追されてはたまらないと批准しないため、その顔色をうかがっていると言われていた。日本のNGOも、CICC(ICCのためのNGO世界連合:Coalition for the International Criminal Court)も必死で日本政府ロビーを行い・・・そして、やっと9年後の2007年、ICC関連法が国会を通過した。

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*投票する各国代表団

 私が、立ち会うことができたのは、続く、日本の加入書の寄託式である。
 2007年7月17日、NY国連本部内の署名室 (「signature」 という部屋)にて、大島賢三国際連合日本政府代表部大使から、国連の法務局条約課長への加入書寄託式が行われた。NGOからたくさんの人が来ており、記者もそろい、狭い会場は人でいっぱいであった。大島大使は、そんなに人が集まっているとは思っていなかったようで、びっくりしていた。
 国連のミシェル法律顧問が大島大使と握手をしながら、「日本は少し時間がかかったけど、日本みたいに批准までに時間をかけて国内法を整備する国と、全く何も国内整備をしないですぐ批准する国とあるけど、日本はしっかりと用意をする国だからこのくらい時間がかかったんだね。」 と、仕方ないね、というか、日本はしっかり準備をするちゃんとした国だね、というのか、少しばかり皮肉なのか・・・、自分で納得するように?話をしていたのが印象的であった。
 もっとも、その場にいて一番うれしそうにしていたのは、やはりずっと頑張ってきた世界各国のNGOの人々であった(次号以降に詳述)。CICCが、「日本のICC条約批准はICCの新たな幕開けを意味する」との声明を出したくらい、この加入書寄託の瞬間は輝かしい瞬間であった。
 それにしても、寄託式には人が集まり、日本への期待は大変なものであった。日本は実に大国である。条約に日本のような大国が入っていないことは、条約の価値をひどくおとしめる。日本政府は「お金ばかり出して人(軍)を出さないから国際社会でのプレゼンス(存在)が低い」とか嘆いていないで、もっとこういう分野で率先してリーダーシップを発揮すればいいのに、と私は思う。

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*ホンモノの加入書!

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*「寄託の瞬間!左の大島大使から右の国連法務局条約課長に、加入書を渡
している。真ん中が、国連ミッシェル法律顧問。」


■締約国会議(裁判官選挙)
 その約4ヶ月後の11月、ICCの締約国会議が国連本部で開催された。日本は、初の締約国としての会議参加となった。私は、日本弁護士連合会の一員(日弁連は国連協議資格を持つNGO)として会議に参加した。
  * * *
 空席となっていた3名の裁判官の選挙が会議の目玉であった。立候補者は5人。日本からは齋賀富美子さんが立候補していた。私は、齋賀さんを、齋賀さんが裁判官候補者になるまで知らなかった。そもそも名前が挙がった頃、まだ日本はICCに入っていなかったので、もっぱらの話題は日本の批准の可否にあった。
 議場でいきなり私によせられたのは、「どうなの、お宅の候補者?法律家じゃないらしいじゃん?」「日本にはICCに出せる法律家はいないわけ?あんた弁護士会からきてるんでしょ?」とのNGOや諸政府から非難の嵐。批判に驚いている私の勉強不足もはなはだしいが、しかし、言われてみればもっともな話である。斉賀さんは、外務官僚で、女性差別撤廃委員会の委員や埼玉県副知事を務めた方。現在は人権大使(今、外務省が「人権」というと、北朝鮮問題のことを指す・・・)。いろいろな伝聞の批判はここには書かないが、きわめて「官僚的な方」であるというのが総合評価のようである。CICCが候補者に行った事前アンケートに齋賀さんは答えなかったとのことであった(そのこと自体がかなり「日本」の「官僚的」)。
 結果的に、日本政府が政治力(資金力)を発揮して、齋賀さんはトップ当選を果たしたが、会場にいる数少ない日本人として批判をバシバシ食らっていた私としては複雑な思いであった(日本国内でICC認知度が上がるなど、いいこともあるとは思うが)。
 私のような、いわゆる国際人権畑の隅っこの立場からすると、女性差別撤廃委員会や国際刑事裁判所などは、人権のための組織なので、国際人権・人道に詳しい人が適任で、さらに国際裁判所は裁判所なのだから法曹関係者がいいのでは?せめて法律学者では?と思うのだが・・・しかし、これまでのアドホックな国際刑事法廷でも、国際人権・人道法で名前の知られる法曹・学者が選ばれたことはない。思えば、国際機関の人事は全て政府内部で決められている!!なんてことだ。国際機関の人事ってば、全く不透明に、政府の内部だけで決められていいとはとても思えない。
 政府内外から候補者を募り、国際法に長けた人材をストックし、機会があるごとに、オープンな形で有能な人材を世界に送り出していくべきではなかろうか。(注:この原稿の完成後、齋賀さんの後任の女性差別撤廃委員会の委員に、林陽子弁護士が民間から選ばれた!林弁護士は、名実共に、女性差別問題の専門家である。(私が現在所属する法律事務所(東京共同法律事務所)に以前所属していたこともある私の大先輩でもある!)これからも、民間からの採用が進むことを願ってやまない)
  * * *
 一般討議での各国からの意見表明では、大多数の国が「日本の批准を歓迎」と日本に触れた。改めて日本が大国であることを感じる。日本政府は、加盟国になった喜びを述べ、裁判官選挙のお礼を述べた。また、日本は、GDPに従いICCの予算の22%を分担することになる、(よって)より多くの日本の人材をICCに送り込みたいとの意思表明をした。世界各国が日本を歓迎しつつ、その影響力を恐れながら注視している。

■余談1 アフリカ紳士
 初日、議場付近のソファーに座りランチをしていると、黒人紳士がやってきて隣に腰を下ろした。ウガンダの方でボツワナ大学で教授をしているという。「私、アフリカに行ったことがあるんですよ。」から始まって、「僕の名前、日本語でどう書くの?」とか、しまいに、「日本では法律家でなくても裁判官になれるの?」「日本からの候補だから当選するね。」とか、一通り話に花を咲かせた。
 かなり話し込んだ後、その紳士が「君を驚かせるかも?」とおもむろに取り出したのは、裁判官立候補者紹介パンフ。真ん中には、どーんと彼の顔写真。
 Oh, my god!  彼は裁判官候補者であった。
 「これはこれは大変失礼しました。」
 国際刑事裁判所の裁判官など、おそれおおい、全くもって手の届かない存在なのに、私は、そんな裁判官に、彼の名前をひらがなでどう書くか、指導までしてしまった。(その後、彼は裁判官に当選した。)

■余談2 ポールさん 連日会議が続く中、ある日、エレベーターで一緒になった白人男性に声をかけられた。「あなた日本人?日本大好き!」とのこと。夕食に誘われ、突如、その白人男性・・・オランダ全権大使(!)のポールさんと二人でフランス料理を食べることに。在日大使館勤務の経験がある方で大変な日本通。しかし、ポールさん、靖国参拝の話から従軍慰安婦問題まで、屈託のない意見を聞かせてくれた(オランダも、アメリカ・カナダ同様、従軍慰安婦問題で、日本政府に対し謝罪をするように求める決議を今年出している。)。一国の全権大使がそんな政治的発言をしてしまっていいんだろうか、とか、小心な日本人である私は逆に心配してしまったり。日本の外交官はエレベータで会った女性を食事に誘ったりしないんだろうな、とか、食事の場での政治的発言は控えるんだろうな・・・とか、いろいろなことを思いながら、おいしくお食事をいただいた。

■余談のまとめ それにしても、日本政府代表団に近寄りにくいのは、私だけだろうか。うむ。私も身構えすぎなのだろう。

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                         (2008年「まなぶ」1月号掲載)

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