■世界の中の「日本国憲法9条」のひとつの見方
イラクから自衛隊が撤退するしないの議論がまたなされています。世論からはイラクの話は既にかなり忘れ去られており、議論も熱を帯びない様子。しかし、イラクでは人が日々苦しめられており、時に、まだ大規模な人の殺戮などが起きています。日本は、その「殺人」について、手こそ直接下してはいないかもしれないけれど、その原因を作り出し、戦争・殺人に協力をし続けています。9条を変えたいというのも、その協力の拡大のために他なりません。
さて、昨年、私は、イラク国際戦犯民衆法廷の取り組みで、他の国の方々へ「日本国憲法9条」を紹介する機会を得ました。その際の、他国の方の反応、飛び出した質問はとても興味深いものでした。今回は、下記、私が昨年まで続けていた国際戦犯民衆法廷についての原稿をご紹介し、その取り組みをご紹介がてら、世界の中での「日本国憲法9条」について考えてみたいと思います。
(そして、市民の力の可能性についても!)
===
世界は市民の手に ~イラク国際戦犯民衆法廷を通じて~
色とりどりに仮装をした人々や、顔に落書きをした人々が、プラカードを掲げて続いていく。カラフルな群衆が、そして、真剣な表情が、次々、ブラウン管を通じて目に飛び込む。アメリカ・イギリス・韓国・・・・そして日本。1000万人が世界中でイラク攻撃反対のデモを行い、市民の声が地球を一周した。
市民の力は、まだまだ捨てたもんじゃない・・・私はその映像を見て、胸を高鳴らせ、いてもたってもいられない興奮に包まれていた。
しかし、2003年3月20日、アメリカはイラクを攻撃した。攻撃の理由は、対テロ、イラクの大量破壊兵器の所持、そして、イラクの民主化であった。しかし、これらが名目にすぎなかったことは既に明らかになり、大量破壊兵器がなかったことなどはアメリカ政府自らが認める結果となっている。
●民衆法廷とは
「イラク国際戦犯民衆法廷」とは、米英軍がなしたイラクに対する攻撃が違法であったか否かを問う取り組みである。
日本国内で犯罪を犯すと、逮捕をされ、刑事裁判にかけられる。では、国際社会ではどうか。今、世界では、個人の犯罪行為を裁く「国際刑事裁判所」(以下「ICC」という。)が設立され、大規模な人権侵害をなしたとされる者はこの裁判所で裁かれることとなっている。第二次大戦の惨状を大いに反省した人類は、人権侵害が起きた場合にはこれを許さず、法で裁かれねばならないと悟った。特に、一国の長が関与している大規模な事件では、その国の長が首謀者であることからその者は裁きを免れることが多い。しかし、人権侵害は人権侵害である。見逃しては、将来の人権侵害も助長する。そこで、他国の出来事であっても、大規模な人権侵害がなされた場合には、裁判ができるようにしようと、幾多の努力が重ねられ、1998年にようやくICCが設立されたのである。
しかし、アメリカはこのICCの規程を批准せず、この裁判所に参加しなかった。のみならずアメリカは、経済力を背景に、米国兵士をICCに引き渡さないようにとの二国間協定を参加国に押しつけている。なお、アメリカにならい日本もICC規程を批准していない。
アメリカ(およびこれに追従している日本)人は、何をやっても、この裁判所で裁かれない。しかし、そんなことが許されていいのか。
無罪であるというのであれば、堂々と裁判の場で争えばよい。国際社会がイラク攻撃を裁けないならば、市民の力で裁判をしてやろうではないか。
そして始められたのが、「国際戦犯民衆法廷」である。
●動き出す国際戦犯民衆法廷
このような経緯をもつ民衆法廷であるため、法廷は、現実の国連主催の国際刑事裁判所と同等のレベルで行われなくてはならなかった。判事はICCで判事となりうる資格や経験をもつ者が就任し、用いられる法律、立証の程度も、同レベルが求められた。
被告人は、ブッシュ米大統領、ブレア英首相、そして、小泉純一郎日本国総理大臣である。また、検事団長がフィリピン国籍のカプロン氏であったことからアロヨ大統領も被告に加えられた。
私は、被告人らを訴追する検事団の事務局長を務めたが、検事団は、極めて詳細にイラク攻撃を分析し、彼らを訴追した。攻撃の日時・場所・回数、使われた戦闘機の数、武器の名称、砲弾の数、破壊された村・建物の名前、死者数、被害者の名前、可能であれば各被害者の死亡時の状況等・・・限られた中で情報を集め、詳細に主張を固めた。そして、被告人らの行為を特定し、彼らの意図、軍への指示系統を調べ上げた。
法廷の、その立証へのこだわりもすさまじく、イラクから証人を何人も呼び、直接の被害を語ってもらった。また、イラクから帰国したばかりのジャーナリスト、国連の中枢でイラク問題に関わっていた人等を証人として尋問した。国際法の専門家証人も数多く尋問した。日本におけるイラク民衆法廷の取り組みでは、多くの市民が日本各地で公聴会を開催をし、多くの証拠を収集した。1年に渡って、日本各地13カ所で、期日前証拠調べ(公聴会)を行った。
時を同じくして世界でもイラク攻撃を批判して、多くの市民が民衆法廷に取り組み始めた。英国、韓国、インド、ベルギー、米国、フィリピン、スペイン、ドイツ、イタリア・・・、次々と民衆法廷の取り組みが立ち上がり、相互に連携し、証拠の共有を行った。
まさに、イラク国際戦犯民衆法廷は「国際」「民衆」法廷であった。
●叶わなかった現地調査
私は検事として、イラクまで行く覚悟でいた。イラクの現実は、日本に全く伝わってこない。想像だけで政治が語られる現実にも苛立っていた。
我々は、イラク法廷の前に「9・11事件」の直後になされたアメリカによるアフガニスタンへの攻撃の是非を問う、「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」を行っていた。この際も、私は検事役であった。単なる断罪集会ではなく、証拠の裏付けをもってきちんと立証せねばならない。そのためには、何としても現地に行き証拠を集め、被害者の証言を法廷に提出しなければならなかった。検事団はアフガニスタンに行き、証拠収集を行った。アフガニスタンでは、誤爆という名の下に、広大な赤十字の倉庫が壊滅的に破壊されていた。地雷撤去のNGOのオフィスが崩れていた。空爆により、わずかな破片が頭に刺さり、そのまま寝たきりになった少女にも会った。何もない茶色い砂漠のような首都カブールの景色に、世界一の超大国アメリカが砲弾を振らせていた。現代の戦争が、どのようなものかをわずかばかりかいま見ることができた。アフガン法廷では、それらの事実について、映像や陳述書の形で証拠をまとめ、それを全て法廷に提出したのである。
私たちは、イラク法廷においてもイラク行きを模索した。しかし、イラク行きは叶わなかった。それは、イラクの治安が大変に悪化していたからであり、また、劣化ウラン弾によりイラクが放射能に汚染されていたからであった。劣化ウラン弾は、放射能毒性を持つ兵器である。イラクでは湾岸戦争時に使われた劣化ウラン弾により、その放射能被爆にあった子供たちが、多く奇形児で生まれ、また、突然目玉が飛び出したり、脳が飛び出したりし、亡くなっている。2003年のイラク攻撃でも劣化ウラン弾は使用され、イラク全土で放射能被害が起きていた。
●日本における審理
公判では、各地の公聴会で集まった証拠を検事が整理して裁判所に提出し、また、最終意見陳述(論告)として主張をまとめた。
被告人らに対する罪は、攻撃、占領、アブグレイブ刑務所での暴行、ファルージャの大虐殺、文化財破壊、違法兵器の使用、など多岐にわたった。
証言に立った元国連事務総長補佐官デニス・ハリデー氏は、国連の経済制裁でイラクの子供たちが毎月5000人殺されている現実に、国連ではもう働けないと約30年勤めた国連を辞めていた。ハリデー氏の強い希望があり、経済制裁も罪に加えた。
小泉首相もイラクに軍隊を送っている。自衛隊は米軍艦隊・航空母艦への給油を行い、武器を携帯した米兵を輸送した。また、連合軍によるイラク占領支配のために約9億ドルの政府開発援助をし、そして、沖縄の米軍基地からイラクへの海兵隊が飛び立っていく。小泉首相はそれらの行為につき罪に問われた。
2005年3月5日、日本における判決が言い渡された。一部の証拠不十分等の無罪を除き、経済制裁、イラク攻撃について、侵略の罪、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪であるとして有罪と認定された。また、判決は、現在続いているイラクの占領そのものが違法であると高らかに宣言した。占領政策が「安全保障理事会の決定」で採られていることからすると、この判断は、国際法学者である判事らには熟慮の末の英断であったろう。しかし、現実を直視し、占領は違法であると認定された。
●イスタンブール最終公判
このように、日本を始め、世界15ヶ国以上の国で法廷が開催された。そして、各法廷で集まった証言・証拠、各国での判決が全て持ち寄られ、国際法廷としての最後の公判が、2005年6月23日から27日、イスタンブールで開催された(WTI(World Tribunal for Iraq))(イラクの首都バグダッドで行われるべき法廷は、イラクの情勢不安により隣国トルコで行われた)。
優に40ヶ国を超える国からの参加者があったのではなかろうか。世界各地の民衆法廷の成果を持ち寄り、最後の公判を見ようと、イスタンブールの古い宮殿を利用した法廷会場は熱気にあふれていた。
法廷は陪審制をとり、10カ国からの世界的に著名な学者らが陪審員として並び、有名な作家であるアルンダティ・ロイ(「帝国を壊すために」岩波新書ほか)がその長を務めていた。日本からは、検事団3名を含む14人が参加をした。
残念ながら日本のマスコミの姿はなかったが、被告人ブッシュの国のCNNを始め、多くのマスコミが多数押し寄せ、会場後ろには世界各国のテレビ局のカメラクルーが所狭しと並んだ。
リチャード・フォーク主任検事から、一連のイラク攻撃・占領が違法・有罪であるとの起訴があった。その後、次々と、各国の担当検事が主張をし、また学者証人、イラクからの被害者、イラクに派遣されていた元米兵が証言にたった。多くの被害映像写真が法廷に提出された。
●日本検事団の主張
日本からの検事団の壇上で主張を述べた。日本検事団に与えられた立証命題は、「違法兵器の使用について」。唯一の被爆国である日本の検事団に、検事団事務局から与えられた使命であった。私は、すでに日本の民衆法廷で明らかになっていた劣化ウラン弾、クラスター爆弾等の使用の事実、被害を主張した。また、国際法で禁止されているにもかかわらず、最新の兵器が不必要な被害を広範囲に与えていると訴えた。
さらに日本の検事団は、憲法9条を紹介し、小泉首相を批難した。「日本は、世界の中で唯一、戦力の不保持と交戦権の否認を憲法上明示的に規定している国である。にもかかわらず、イラクに兵士を送り、米英軍のイラク侵略に最も貢献している。日本は軍国主義への道を進んでおり、憲法9条の改悪が政府により叫ばれている。憲法を破り国際法を破って、米英軍を幇助し、自衛隊を派遣している小泉は有罪である。」
陪審員から質問が出た。「日本の憲法は、日本国内の問題なのに、国際裁判所で日本国憲法の話をしても意味がないのではないか。」
私は次のように答えた。「日本国憲法は、多くのアジアの国を侵略した日本が、二度と侵略はしませんと、それらの国とした約束です。日本が60年間戦争をせず平和に発展を遂げてきたのは、この約束のおかげです。日本国憲法は確かに日本の憲法ですが、それは他国との約束なのであり、国際的にも意味を持つものなのです。」と。
昼の休廷の際、あるイギリスの弁護士が話しかけてきた。「一国の憲法が、”他国への約束”であるという考え方は、とても新鮮だわ。思いつきもしなかったけれど、とてもすばらしいことだわ」と。
翌日のトルコの新聞には、9条を紹介する私たち日本検事団の写真がカラーで掲載されていた。
●判決
最終日、2005年6月27日、イラク世界法廷の判決が言い渡された。
判決は、イラク攻撃・占領は違法であるとし、米英政府の主張した開戦・占領理由は虚偽であり、戦争の主要な動機は石油であったと結論付けた。
その他、判決の指摘事項は多岐に渡った。米英のなした行為が「侵略の罪」にあたること、民間人・民間施設を標的にした攻撃、無差別兵器の使用、占領期間中に民間人の生命を守らなかったこと、平和的デモ隊の殺害、適正手続なしでのイラク市民の処罰・拷問等これら全ては違法であるとされた。
国連安全保障理事会に対しても、経済制裁や飛行禁止区域での違法な爆撃を米英軍に許したことなどが違法であったと指摘がなされた。各協力国政府、のみならず、民間企業も戦争犯罪の共犯であるとされた。
そして、連合軍のイラクからの即時・無条件撤退、戦争賠償と補償金の支払い、詳細な被害調査・加害システムの調査をすべきとの勧告がなされた。
共犯加害者の調査対象としては、「小泉純一郎」の名前が冒頭に上げられている。
被告人、有罪、である。
●判決の実現へ ~市民の力の可能性
一般の法廷では判決には強制力がある。しかし、民衆法廷は、市民による法廷であって、有罪判決を受けた被告人らを強制力をもって刑務所に送り込むことはできない。では、民衆法廷は無力か。
そうではない。そうであってはならない。
民衆法廷の判決は、現在ある法律に基づいて、適正に裁かれた結論である。アメリカ他を裁くことのできない現代の国際社会の、欠け落ちた部分の正当な補完である。その結果は、実現されねばならない。
民衆法廷の結果の実現は、市民の手にかかっている。それはまさに法廷の運営の全てが世界中の市民の手によるものであったことと等しい。そして、市民はそれを実現するだけの力を既に身につけている。
少し以前まで、国際社会の登場人物としては国あるいは国際機関のみしか認められてこなかった。しかし、近年、国際社会では「市民」が大活躍をしている。紛争地でも難民キャンプでも、市民(NGO)がいなければ国連組織は回らない。また、拷問等禁止条約や対人地雷廃絶条約のように、市民が声を上げて国や国際機関を動かし、国家を縛る条約を作り上げてしまうと例も少なくない。紛争予防のための具体的政策を作り上げる取り組みGPACCも、市民社会が、戦争を止めようとしない国家に歯止めをかける力強い取り組みである(武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ:2005年7月にNY国連本部で最終会議)。
現実に、市民が国際社会を動かす流れが力強く始まっている。市民が主役となって国を動かし、国際機関を動かしていく。それは、現実に起きている。
●最後に
世界1000万人の攻撃反対のデモが起きたにもかかわらず、被告人らはイラク攻撃を開始した。
けれども、私は、1000万人の声も無力であったと残念に思ったことはない。あれだけのデモを、あれだけの心からの声の結集を、実現できるのは市民だけである。「何だってできるかも知れない」というあの躍動感は、市民の心からの叫びでなければ生まれない。 私たち市民は、これから、民衆法廷の判決が強制力を持つよう、声を上げ、力を集めて世界の流れを変えていかねばならないのである。
「強制力をもたぬ民衆法廷の判決を実現することは容易ならざることである。しかし社会に対する働きかけのために英知を絞ることは、侵略の決断や虐待の実行よりも遙かに豊かな人間の営みであり、なによりそれは、本法廷の判決をまっさきに捧げるべきイラクの人々への最良の連帯の証となろう。本法廷の判決には、沸きあがらんばかりの「不正義への怒り」が込められている。本法廷の営みをさらなる行動につなげていくことは、人間の安全を目指す現代国際法および日本国憲法の平和主義を支える私たち市民の担うもっとも重大な責務の一つであることを忘れてはなるまい。」
(日本イラク国際戦犯民衆法廷判決より)
http://www.icti-e.com/(国内のイラク国際戦犯民衆法廷)
http://www.worldtribunal.org/main/?b=1(イラク世界法廷)
The comments to this entry are closed.
Comments